『20才の自分へ』 ― 12才の自分から手紙が届いた。
ついさっきの話。
小6の担任の先生から、封筒が届いた。
封筒の表には、非常に汚い*1字で書かれた私の住所と名前。
自分の直筆であることはすぐにわかった。
中には当時12才の私が20才の自分に宛てた手紙と、先生からのメッセージ(+近況報告)。
新たな黒歴史を見てしまうかもしれないという恐怖もあったが、心を落ち着かせようと先に先生からのメッセージを読んだ。
そこには、小6の一年間での思い出と、私への激励のお言葉が書かれてあった。
うっすらと当時のことを思い出しながら、首記の手紙を手に取った。
以下に原文(改行は適宜追加)を載せる。私は極力タイプミスの無いよう尽力するので、猶ある過ちは小学生によるミスである。多めに見て欲しい。
20才の自分へ
20才のぼくは、この手紙を読んでいる時、どんな生活をしていますか?今のぼくのように毎日毎日ゴロゴロしているのかな?
それとも仕事をしたりしているのかな?今のぼくは大学に行く気は無いけど、8年間の間に変わって、行っているのかな?
今のぼくには、夢はまだありません。夢はできましたか?
そして、それはかないそうですか?もうかなえてちゃったりしましたか?
その夢はあきらめないで下さい。何度もがんばればそれはきっとかなうと思います。
2017年には、どんなことがあっていますか?まだ不景気が続いていますか?決適に暮せているといいですね。
小学校での思い出は、覚えていますか?夜おそくまで起きていた修学旅行。
あれはとても楽しかったです。人生を楽しく生きていて下さいね。
ちゃんと食べたりしていますか?事故などにはあっていませんか?
今、20才のぼくがどうしているのか、12才のぼくには分からないけど、ちょっと予想ができたりもします。
でも、はずれていたらこれをよんでいるぼくがはずかしく感じると思うので、ここでは書きません。
ぼくは、もうすぐ卒業して、中学生になります。小学校にもあと13日しかきません。
辛いこともあると思うけど、がんばって生きてください。
2009.2.26 AM9:52
この手紙を読んでいるぼくが幸せに生きることができていることを願います。
12才のぼくより
何はともあれ、過去の私のFine Playにより新たな黒歴史は発掘されなかった。
一連の出来事を通して、感慨深い味わいを嬉しく思うとともに、一人の児童であった私に卒業後8年経った今でも教育を続けて下さった当時の担任に、感謝の気持ちが溢れ出る。
ありがとうございました。
*1:自慢では無いが、今の私も字は汚い。しかしそれよりも汚かった。
*2:フェルマーの最終定理 - Wikipedia:『この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる。』